「『安全』の当事者とは」

16年前の4月25日、JR伊丹駅に近い、私の担当している派遣スタッフの現場に
向かう為、朝10時頃に大阪駅に着いていました。
どうやら乗りたい路線で事故があり、運転を見合わせているとの状況で、その時は気
安く「阪急で移動すればいい」と思っていました。
そのスタッフに電話で、少し遅れる旨連絡すると「今日は来れないだろう。JRが大
変な事になってるらしい」
と返ってきました。
私はその時の状況が分かりませんでしたが
  • 代替ルートがある
  • 仮に大きな事故であるならば、予定を明日以降に延ばすと、事故の影響で代替ルートも混雑する
という判断で、そのまま現場へ行きました。
現場へ出向き、事故の概要を聞いて凍り付きました。
塚口・尼崎間で起こった、凄惨な事故でした。
多くの方が犠牲となったこの事故、経験の浅い運転手の重圧や、パワハラ紛いのペナ
ルティ、ATS(自動列車停止装置)の不備、私鉄との競合等、原因が複層していた
り、経営陣が後の裁判で無罪となる等、未だに影響の大きい出来事となりました。
時間によっては、自分が巻き込まれていたかも知れず、毎年忘れられない出来事でも
あります。
安全かつ定時運行は世界に誇る日本のお家芸の様な言われ方もあるようです。
その裏に、現場の方々の使命感やプライドがあるのは言うまでもありませんが、その
実私たち利用者からの期待を超えたプレッシャーがあったのではと思います。
定時に1分遅れた為に、丸めた新聞紙で叩かれた運転士さんもいらっしゃいます。
接続が悪く、改札の係員さんに暴言を吐く客もいるといいます。

「もっと早く」「乗り継ぎを便利に」

という果て無き要求に応えてきた結果、何かが
狂いだし、そこから崩壊が始まったのではということではないでしょうか。
交通機関に限らず品質やサービスにおいても日本は「安全」がウリです。またそれを
「当たり前」の様に享受されています。
ここは立ち止まって、利用者も「安全」維持の当事者である、という意識が拡がれば
いいなという思いです。

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