転職博士が見る過労自殺について
過酷な労働条件下で心に傷を負う、ひいては命を失う事に、転職エージェントとして思う事があります。
「『逃げ』ではなく『避難』」
5月31日付毎日新聞WEB記事より
スーパー社員「過労自殺」労災認定 国の処分取り消し 松江地裁
https://news.yahoo.co.jp/articles/85493518bb1a9e825c1a6231b29be9cd8a4cb9fc
また一人、会社の犠牲になってしまった方が。
心からのご冥福と、ご遺族の皆様へ心よりお悔やみを申し上げます。
色々なご事情を抱えて転職に臨む方々を見て来ました。
中には過剰労働やパワハラ、セクハラを伴う職場を去りたいという方々にも、大変多く接して来ました。
タイミング良く転職が叶った、ある方の
「会社は変わることは出来ても、あの会社(前職)の時の事は忘れることは出来ないと思います」
この言葉がいつまでも私からは消えません。
生きる為に仕事をする。
一日の大部分を仕事の時間に費やしている。
そこに仕事人としてのプライドが生まれ、人格形成の場にもなる。
そんな場所で、主従関係を利用し、理不尽なハラスメント、無茶な仕事をさせる、体調を崩す超過勤務等々。
一個人のプライドや心身をズタズタにされ、更に思い詰めてしまう人も出て来る。
職場でそんな事があってはならんのです。
命を自ら断ってしまうまで追いつめられる人は、責任感の強い人だと思います。故に
会社の理不尽にも耐え
他の人に迷惑を掛けてはいけない
自分が仕事を辞める、または異を唱えることで一緒にやって来た仲間に迷惑を掛けやしないか
この時点で、もう会社を変わるであるとか法的手段に出るとかの選択肢を自ら失ってしまうのでしょう。
最後の最後まで苦しんだ挙句自分の力量に自信が持てなくなる
ひいては仕事人として、人としてのプライドを傷つけられる
こうやって追いつめられた人を、誰が、どうすれば護れるのか。
遺されたご家族、関係者の方々が、その問題を一心に引き受けてしまい、悪い影響が出てしまう事も多々聞きます。
そういう人を減らす(なくす事は現状残念ながら難しい)にはどうすればいいか
最初のステップとしては会社を辞める、変わる。
その事を「逃げ」と捉える人が居ます。
違います。
「避難」だと捉えて欲しい。
会社は個々の集合体です。その一人一人に人格があり、人生が、家族があります。
「それをいちいち理解して仕事をさせるのは不可能」
「社員はただ会社の目標に向かって前に進んでいけば、個々の幸せは気が付けばついて来てる」
宴席でこう言い放った経営者が居ました。
この会社、潰れちまえ。そう思っていたら敵対会社の軍門に下り、経営者は事実上追放されました。
そういう会社、組織からは「避難」しましょう。
身心を壊したら元も子もありません。
さて記事に戻ります。
もちろん当該企業に酌量の余地はありませんが、同時に許しがたいのが、最初の労基の対応です。
記事から引用します。
>出雲労働基準監督署は、死亡前6カ月の時間外労働を月82~101時間と算定し、過労死につながる心理的負荷はなかったとして不支給にした。
5月31日付毎日新聞WEB記事より
判決は、家族や同僚らの証言を慎重に吟味し、死亡前6カ月の時間外労働がいずれも月110時間以上で、特に直前2カ月は月124~138時間に及んだと指摘。
本来門外漢の裁判所がここまで調べて出した数値と、出雲労基署の様な専門職の算定した数値の開きはどう説明するつもりだ。
人一人の人生が終わっとるんやぞ。
裁判にならなきゃ泣き寝入りか。
更に言う。
因果関係は解明出来なかったが、社長のパワハラを伴った82~101時お間の時間外と、ただ単なる82~101時間の時間外だったら精神的にどうか。
これは先に電通の新入社員さんが亡くなった事件でもそうだったが、彼女を追い詰めた課長のパワハラと、時間外超過の因果関係には言及出来なかった。
通り一辺倒なものの見方で、物言えぬ人の人生に杓子定規な線引きをするな。
そもそも時間外の管理をしていない会社側に多大な非がある時点で、何らかの処分をしたのか?見え
て来ない。
その会社のコメント「差し控える」
これ、よく有りますね。
「訴状が届いていないのでコメント出来ない」
「係争中につきコメントは差し控える」
「既に原告側と●●中なのでコメントは差し控える」
一切言及しない会社、組織。
この会社のHP見ましたが、この事件、事実に一切言及しないままでした。その上で経営理念だったり社長メッセージや求人文句読んでると、いったい何のジョークを読まされてるのかとクラクラして来ました。
社長。どうですか。私に求人票預けませんか?私自ら潜入社しますけど。
何度も言います。
この様な会社や組織の為に思い詰めるのなら、どうか「避難」して欲しい。
世間は自らが思うより広い。私も同じ目に遭って来ました。で、避難した。
だから言うのです。