「1. 17」
今年も祈りの一日でした。
こんばんは。転職博士です。
当日の朝、私は東灘区の魚崎東という所に住んでいました。
何故かその日は朝5時半に目が覚めて、テレビを付けていました。
もうひと眠りしようと思った次の瞬間、身体が上下左右に持って行かれる様に跳ねました。自分ではどうする事も出来ません。
表に出ると、向かいの文化住宅は崩壊し、当時アルバイトをしていた青木の商店街方面からは火の手が上がっていました。
路上に座り込んでいるお婆さんに、持っていた携帯カイロを渡すと、喜んで戴きました。
こんな時でも、笑顔は力になるもんなんだな、と思いました。
高速道路が倒壊し、国道43号線は地獄の様相でした。
近くのスーパーに納品で来ていたトラックから、次々とパンが配られていました。
公衆電話の列に、皆さん整然と並んでいました。1通話3分位で切り上げて後ろの人に代わっていました。
「くそ!もう腕があがれへん」
と叫びながら消火活動をされていた消防士の方。ご遺体を前に家族の方と涙ぐんでおられた警察官の方。
どれも生涯忘れる事の出来ない光景の数々。
27年目の今年、私は神戸市内を車で走っていました。
風化が懸念されるという話は伺いますが、神戸の人々は、決して風化などさせること無く、今日、それぞれの形で追悼の一日を過ごされています。