常紋トンネルの「人柱伝説」は本当か?

こんにちは!転職博士です。

大規模な建設工事の1つといえば、トンネル工事。

トンネル工事の中でも、100年以上前につくられた常紋トンネルを知っていますか?

そんな常紋トンネルで噂されてきたのが「人柱伝説」です。

そこで今回の記事では、常紋トンネルの「人柱伝説」について解説します。

常紋トンネルとは

常紋トンネルは、JR北海道石北本線にある延長507mのトンネルです。

遠軽町と北見市を繋げるトンネルで、常紋峠を越えるために工事が進められました。

常紋トンネルの工事着工は、1912年(大正元年)。

約3年間かけて掘削を進め、1914年(大正3年)に完成しています。

しかし、その後の1970年(昭和45年)に十勝沖地震が発生。

地震の影響で壁が崩壊してしまったため、常紋トンネルの修復工事が行われました。

そんな常紋トンネルの工事に関わった労働者は「タコ」と呼ばれる人々でした。

タコ労働者は、北海道以外の土地から騙されて連れて来られた人々だったのです。

報酬が支払われずに朝早くから夜遅くまで働き続けましたが、長時間労働で体力が奪われる中でも十分な食事も与えられていなかったタコ労働者。

さらに、病気になっても治療を受けられなかったり、脱走しようとした場合は暴力を受けたりするなどもあったのです。

このように、過酷な環境下で進められたのが常紋トンネルの工事。

その結果、この常紋トンネルの工事では100名を超える人々が犠牲になったといわれています。

常紋トンネルの人柱伝説

常紋トンネルといえば、嫌な噂があります。

それが常紋トンネルの「人柱伝説」です。

「人柱」とは、大規模で困難な工事をする際に無事に完成することを祈願して、生きた人を土に埋めるなど犠牲にしたことをいいます。

しかし、常紋トンネルの人柱は少し違います。

過酷な労働環境から脱走しようとした労働者を拷問して、その犠牲者を埋めたといわれているのが常紋トンネルの人柱伝説なのです。

実際に、1970年(昭和45) 年に常紋トンネルの壁が崩壊して、修復工事を進めていたときに人骨が出てきたことが話題になりました。

これまで噂となっていた常紋トンネルの人柱伝説が事実だったと裏づけられるきっかけとなったのです。

たくさんの人々が犠牲となった常紋トンネルの工事。

そんな犠牲者を慰めるために建てられたのが「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」です。

常紋トンネルが完成するまでに、たくさんの人が犠牲になったことを忘れてはいけませんね。

まとめ

今回の記事では、常紋トンネルの人柱伝説について解説しました。

常紋トンネルの現地の様子を踏まえると、人柱伝説は本当だった可能性が高いといえます。

工事に関わった多くの方が犠牲となっていた常紋トンネルの工事。

現代の建設工事では、何よりも優先すべきことは「安全」です。

着工から完成まで誰一人として事故や怪我なく工事を進めるために、人柱伝説から考えさせられる部分もあったのではないでしょうか?

ぜひ、ご自身の建設現場の安全について今一度考えてみるのもいいですね。

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